「カッコいいこと」書いても、仕方ない

「コピー」って、あるじゃないですか。

いや、ゼ○○クスとか富○通とかじゃなく、

キャッチフレーズやなんかのこと。


あれを、ですね。


なんか聞いた風な、

カッコつけたことを書けばいいと思ってる人と

商品の説明をすればいいと思ってる人が

多い気がするんですけど・・・


違うんだよねー。


ていうか、わたしも、ずっと以前は、

そう思ってたんですけどね。


でも、違った。

じゃー、何が違うのか・・・?



こんにちは! 

伝えたい思いが溢れすぎて文章苦手になっている

ヒーラー/セラピスト/コーチのための

ライティングブロデューサー 大慧亜衣子です。


もうだいぶ前のことだけどね、

まだ子どもが小さかった頃・・・


仕事で広告をやらなきゃいけなくなりまして。


わたし、本をずっと作ってたから、

モノの形は作れるし

言葉を取り扱うことには自信があったけど、

広告って、よくわからなくて。


無理くり形だけ広告っぽいもの作って投げてみたけど、

まー見事に当たらなくてねえ・・・


というのを何度か繰り返すうちに、

これは無理だとわかって。

じゃあどうしようってなったときに、

ふと、地下鉄の表参道駅の壁に

4センチ四方くらいの、

小さな小さな紙が貼ってあるのに気づきました。


近づいてみたら、

コピーライター養成スクールの広告でした。


そのスクールの名前は聞いたことがあって、

・・小説家の林真理子さんや原田宗典さん、

作詞家の阿久悠さんや佐野元春さんが

かつて通ってたという話でだったんだけど。


とにかく、もうメチャクチャ困ってたので、

すぐそのスクールに電話をして、通うことにしました。


講座は、普通のクラスが半年、

上級クラスが半年の、1年間だったかなー

一つの品物について、

「最低100本はコピーを書いたうちから、ベスト3本選んで出せ」

みたいな課題が週に2回も出て、えらい大変だったんですが・・・


結論から言えば、

コピー一本で注文faxが止まらない、なんて経験もできたし、

制作会社から声がかかって、継続的に

コピーのオシゴトいただけるようになったから

通ったのは大正解だったんだけど。


でも、それだけじゃなく。


その講座に通ったことは、わたしにとって、

ちょっと大げさかもしれないけど、

人生のターニングポイントだったんです。



それまで出版の世界にいて、

言葉を、自己表現の手段として捉えてたけど


広告を学んだことで、

言葉が、伝えるための手段に変わりました。


言ってみれば


世界の真ん中で、

誰が聞いていようが聞いていまいが

いっさい関係なく愛を叫んでたのが


世界のどこか決まったところに立ち、

別のどこか決まったところに立っている

「あなた」という特定の人に向かって、

愛を手渡せるようになった。

・・・って感じ。


そして、


言葉というのは、思考そのものなので。


言葉のもつ意義が変わり、

選ぶ言葉が変わってくると、

同時に、意識のもちかたも変わりました。



端的に言うと。


あー。相手って、いたんだなー。と。

当たり前なんだけど、再発見した。このとき(笑)



んで。

最初の質問。


じゃー、何が違うのか?



あのね

「カッコつけたこと」って、

誰がそれを「カッコイイ」と思ってるかって、

書いてる自分なんだよね。


え、違うよ!

(ふふふ、これならカッコイイと思うだろう・・・)

って思って書いてるよ!

って言うかもしれないけど。


でもだから、じゃ、

誰がそれを思ってるの?ってことよ。


書いてる自分だよね?



これ、レトリックのことだけじゃなく

いわゆる「大きく見せようとする」なんてのも、

この一種ね。


書いてる本人が、

「これなら立派に見えるだろう」

「これなら大丈夫だろう」って

思ってることを書いてる・・・


つまーりー


そのコピーの読者は、

書いてる自分なわけよ。


自分で自分に広告して

どーすんの?というハナシなわけよ。


意味なーい(笑)