細くて急な階段を降りると


 喫茶店と言えば、古くから吉祥寺にあるここは
大好きなお店のひとつです。
洞窟に入っていくみたいに細くて急な階段を降りると、
薄暗い店内には、いつも落ち着いた空気が流れていて
あ・・そういえば、ここで大声で喋ってる人たちって
見たことないなあ。

ネットとケータイが広がる前は、よく、
ここに、週に何回も通ってきていました。
コーヒーもカレーも美味しいのだけど、目的はそこじゃなくて
打ち合わせ。(笑)
吉祥寺あたりは、作家さんや絵描きさんがたくさん住んでおられて
「Aikoさんと、ちょっと話したいんだけど」ってお電話いただくと
じゃあ、いつもの・・・・ってことに、なっていたのです。

「打ち合わせ」と言うと、一般には、
何か既にプロジェクトが決まっている案件について、
担当や段取りを決めたり、進捗状況を情報共有したり、
というイメージが湧くかもしれないのですが。
著者と編集者が「打ち合わせしましょう」と言うときは、
少し様相が違います。


これから、何を作るか・・・いや。それ以前に。
もしかして、何か作れることが、あるのか?
まだ形にならない、胸の内で陽炎のように漂っている
「表現されたがっている、なにか」
の、姿をつかむために、会って、話をするんですね。

今日はお天気いいよねえ、とか、
さっき電車でこんな人を見てね、とか、
どうでもよさそうな四方山話をしているうちに
そういえば・・このことって、気になる。
間違ってるかもしれないけど、自分としては、
こんな風に思うんだよね。
なんていう話題が、ヒョコッと出てきて
それが、次の作品(本)の種になります。

会いましょうってお電話いただいた段階では
まさか今日、そんな種が産まれるなんて、
編集者にはもちろん、著者にとっても
まったく思いもよらないのだけれども、
話をすることで、それが、できる。

書籍の編集者というのは、
著者と話をすることで、著者と一緒に、
心の階段を降りていって、そこにあるものを目撃する。
そんな役割なのかなあとも感じます。



では。

それとは逆に
「もし誰とも話をしなかったら・・・?」
というのを想像すると。


(あ、そりゃ難しいわ)
すぐ結論が出せるのも、面白いところです(笑)


人間がみんな、父と母の2人が揃って産まれてくるように
0(ゼロ)から、1(イチ)が産み落とされるには
人と人が出逢う、話す。というプロセスが必要なのだと考えると、
自然の摂理と比べても整合性がとれて、腑に落ちるような気がします。

・・・と。そういうわけなので


胸の中にある深い「思い」を、
言葉にする
文章にする、
ブログにして、人から見てもらえるようにする
というのが、難しいときは
「話をする」が、まだ少し・・あともう少し、
足りていないのかもしれません。